宇井純氏死去に思う

 2006年11月11日に沖縄大学名誉教授の宇井純氏が亡くなった。宇井純氏は、大学時代に公害の事を学びに図書館通いをしていたときに読んだ「公害原論」の著者として知った。

 水俣病の悲惨さ、問題の複雑さ、足尾銅山鉱毒事件や田中正造の事等、種々のことをこの「公害原論」から教えてもらった。田中正造については、現在では小学校の国語の教科書やテレビでも紹介されているが、足尾銅山周辺住民の為に一生を捧げた人間である。衆議院議員を勤めたこともある。明治天皇に直訴もした。直訴の最高刑は死刑だったそうであるから、正に命がけである。名主の家に生まれ、死んだときは頭陀袋一つの荷物しか持っていなかったという。現在の国会議員どもに爪の垢でも煎じて飲ませたい位である。

 宇井純氏も東大助手時代に始めた公開自主講座、それをまとめたものが「公害原論」であるが、に始まり、一生を公害告発や自然保護に捧げられた。

 大学時代に知った宇井純氏や元熊本大学医学部の原田正純氏には、その著作だけでなく、その生き方から多大な影響を受けた。

 ご冥福をお祈りいたします。 

(2006年11月18日記)